2015/01/23

今日読んだおさしづ

今日読んだおさしづです。

明治二十五年十月十五日 夜
本席住宅普請の願

さあ/\よく/\事情々々、事情始めて話し掛ける。話し掛ける理が分かれば、重重の理に諭し置こう。追々話、刻限の話。これまで中にあったであろう。一つはどうであった、こうであったと難しい。成らん道一つ踏み込めば、後へ寄るに寄られん。思やんあったであろう。一つ精神おこるともありて人々の事情何も彼も話し、話はどうであろと分からん事は答え、事情は答えて答えるは神のさしづである。さしづは一時も捨て置く事出来難ない。よく聞き取ってくれ。一寸刻限聞き取りて旬を改めば理である。事情一つ話し掛ける、又話し掛けるで。長く理である。さあさあ元を聞かねば分からん。一時道では無い。皆そうやって結構見れば当り前。結構分からん。これまで古き道分からん。尽す余儀無い事情取りてそこで理が合わんと思えば答え、刻限間違わんなれど、答える理が無い。勝手良い理に寄って勝手の悪き理は寄り難くい理であろう。勝手の良き理は置かん。この道では選り喰い同様、親という理分からねば何も分からん。寄り来れば尋ねる。尋ね掛けたら普請一条尋ねるであろう。さしづには幾重どうしてくれとは言わん。重々運んでくれ。これから話変わるで。席という席一条頼んだ事は無い。日々働き同様、今日の道はどういう処から出たか、考え。理が寄りて互い/\尽しての理である。神の道でこそ尽すだけのあたゑという。これ一つ聞き取ってくれ。それから又変わる。放って置く、放って置かんは言うまい。日々あちらこちら用が立て合うから届かんのやろう。そこえ/\届かなんだなれど、たった/\一つの理同じ理、これ分からん/\。どういう理なら、憲法発布許した限りの理、よく聞き分け。分かる分からんか答をせよ。一つは答えてくれ。答無くばだん/\話に掛かる。寄り合うて遠く道もあれば近くもある。聞くもある。遠く話聞き取りて、一時に聞いて、寄るは神やしき元一つありて世界、世界からという。




さあ/\よく/\事情々々、事情始めて話し掛ける。話し掛ける理が分かれば、重重の理に諭し置こう。追々話、刻限の話。これまで中にあったであろう。
(さあ/\、どのような事も神に従おうと皆々で心を一つに揃え、互いに救け合う事によって生かされるのが人間である事を忘れてしまい、先々の為の種蒔きの道〈一時の苦しみの道〉を通ろうともしないで、目先の結構ばかりを求め、自分達の事ばかりに心を奪われて世の中を曇らせるような事であり、そんな心があちらこちらでぶつかり合って又々大きな残念の理を生み出し、欲とほこりで泥々になってしまった世界を、もう一歩も見許す事が出来ないという処まで来たのであるが、そこで、この世治まる真実の道〈駄目の教え…この先通るに通れない勝手な人間心を改めさせて、いついつまでも連れて通す事の出来る澄み切った心を治めさそうとする真実誠の神様の教え〉を伝えようとしても、山のように積み重ねた残念の理が邪魔をして、真実誠の神の話を聞き分ける事が出来難ないのや。
このまま見許して置くなら、更に更に世界は行き詰って恐ろしい生き地獄のように成るという事は目に見えた事であり、止むを得ず、元の泥海に返してもう一度初めからやり直さなければ成らない、という処まで来てしまったのであるが、そんな中に、真実の心を持って願い出る一筋の光が有るのや。
「私のような悪のかたまりのような者を、生かしてお連れ通り下さる親神様に申し訳ない、余りにも申し訳ない。どうでも恩返しをさせて頂かなければ気がすまない。世界救けが神様のお望みなら、何もかも捨てて命がけで尽くさせて頂こう。私には何の力も無いが、末代までも身も心も供えさせて頂くなら、少しはお役に立たせて頂く事が出来るであろう。世界中の人々の為の捨て石と成らせて頂き、馬鹿な奴だと笑って頂けるなら本望であり、幸せです。私のような者ではありますが、どうか親神様のお役に立てますよう、親神様の思い通りに育てて頂きとう御座います。」と言って、願い出る一つの心が有るのや。
このまま元の泥海に返してしまうなら願い出る真実の心があまりにも忍びないというよくよく/\の事情々々から、世界一列を救ける為の神一条の事情を創め掛けるのであって、今このようにして、世界治まる誠の理を話し掛けるのやで。
人間は皆神の子供であって誰に隔ては無いのであり、段々と話し掛ける理が分かるように成れば、皆重重の理に諭し置こうという事に成るのやで。
天然自然の順序の理を働かせて、段々と澄み切った心を治めさそうとする追々の話ではあるが、今一時に神の話を聞き分けようとするなら、速やか鮮やかな理が働くという刻限の話でもあるのやで。
これまで皆々が通って来た道の中にも、何もかも捨てて速やかに神の話を聞き分けようとするなら、明らか鮮やかな理が働くという事があったであろう。)

一つはどうであった、こうであったと難しい。成らん道一つ踏み込めば、後へ寄るに寄られん。思やんあったであろう。
(人間心を捨てて速やかに神の話を聞き分けようとするなら鮮やかな理が働くのが天の道理であり、一つはどうであった、こうであったと心に理を治める事が出来るのであるが、日ごろの神の働きに深く感謝をして、恩返しをしようとする真実の心が無ければ、真実誠の神の道は難しい事に成るのや。
人間の思うようには成らん真実誠の神の道へ一つ踏み込めば、後〈これまで通って来た間違いだらけの道〉へは、もう寄るにも寄られんように成るのやで。
澄み切った神の道に踏み込めなかったから濁り心を改める事が出来なかったのであり、それによって色々な人間思やんがあったであろう。)

一つ精神おこるともありて人々の事情何も彼も話し、話はどうであろと分からん事は答え、事情は答えて答えるは神のさしづである。さしづは一時も捨て置く事出来難ない。
(あらゆる人間思案を捨て切って真実誠の神の道に踏み込めば、一つの精進〈せいしん…精進むを尽くして道の為に勤め励む事〉が起こるともありて、人々の心はおのずから浄化されるというような事情は何も彼も話しをして来たのであり、又、「この話はどういう事であろうか。」というような、分からん事には速やかに答えてやり、道の為に尽くそうとする真実の心には、結構な先々の理を以て応えてやろうとするのは神のさしづであるのや。
真実誠の神の道を通ろうとするなら、明らか鮮やかな理の働く神のさしづは、一時の間も捨て置く事が出来難ないのや。)

よく聞き取ってくれ。一寸刻限聞き取りて旬を改めば理である。事情一つ話し掛ける、又話し掛けるで。長く理である。
(又これをよく聞き取ってくれ。一寸やそっとではない真実誠の刻限の話を聞き取りて旬を改めば〈天が定めた時旬通りの道に成るよう、己の心を改めれば〉、世界に写さなければ成らない誠の理であるのや。
それを道の台として、世界治まる真実誠の道の事情を一つ話し掛けるのであり、聞き分けて治まる旬の理を見定めて又話し掛けるのやで。
そのようにして、いついつまでも連れて通ろうとする長く理である。)

さあさあ元を聞かねば分からん。一時道では無い。皆そうやって結構見れば当り前。結構分からん。これまで古き道分からん。尽す余儀無い事情取りてそこで理が合わんと思えば答え、刻限間違わんなれど、答える理が無い。勝手良い理に寄って勝手の悪き理は寄り難くい理であろう。勝手の良き理は置かん。
(さあさあ、どのような事も元を聞かねば分からんで。
一時の〈その場限りの〉道では無い。道の中の事情はどのような事も先々の為であって、今の難儀な道が先々の楽しみの種と成るのであり、皆そうやって、思うように成らない長い苦しみの道を通って来たからこそ今日という日が有るのだが、結構に成った今日の日を見れば、皆当り前のように思うであろう。
見えない処で神が真実の限りを尽くしているからこそ、今日の日が有るという結構な理が分からんのや。末代続く結構な道を通させてやりたいという神の思惑が分からんから、これまでの古きひながたの道が、これから先の世に人として生かされる為のたった一つの胸の掃除の道であって、末代続く楽しみの道である事が分からんのや。
元無い世界を創め掛けた親神が、可愛い子供の為に尽くす神の世界であるが、結構な末代の理を治めさそうとする真実誠のをやの思いが伝わらない事から、余儀無い事情を取りて苦しみの理によって知らさなければ成らないのであり、そこで理が合わんと思えば答えてやり、諭す刻限の理は少しも間違わんなれど、速やかに受け取ろうとする真実の心が無いから、速やかに応えるだけの理が無いのや。
今一時の勝手の良い事ばかりを求める人間心の理によって、一時の間の勝手の悪き神の理は、寄り難くい理に成るであろう。
皆々がそんな事であるから、何もかも捨てて神の思惑に従おうとする勝手の良きひながたの理は、結構な先々の理の治まる道の台として世界中に写し出さなければ成らないのであって、捨てては置かれんのや。)

この道では選り喰い同様、親という理分からねば何も分からん。寄り来れば尋ねる。尋ね掛けたら普請一条尋ねるであろう。さしづには幾重どうしてくれとは言わん。重々運んでくれ。
(この道では選り喰い〈よりぐい…自分の好きなものだけを食べる事〉同様の理が許されるのであるが、親〈道の為・世界の為を思い、一人先に立って苦労艱難のひながたの道を通り抜ける理によって、心が澄んで末代の楽しみの理が治まるのであり、そうして治まった結構な理を多くの人に写す為の親の理が治まり、治まった親の理によって話の理が治まり、結構な末代の道が伝わる。〉と成って尽くす理によって人々の心に理が写るのであり、そんな真実誠の親の理が多く集まる事によって、世界が治まるという事が分からねば何も分からんのや。
真実の心を持って寄り来れば、この道は世界一列を救ける為の神一条の道であろう、と言うて神が尋ねるのや。一つ尋ね掛けたら、今は未だ仮の道であって、世界中の心の立て替えの本普請の為に、身を捨てて尽くす神一条の道では無いか、と尋ねるであろう。さしづには幾重の理を出してあるが、何もかも心次第であって、どうしてくれこうしてくれとは言わんのや。
「どうでも尽くさせて頂きたい。」という真実の心を受け取って、神が代理となって働く神一条の道やから、出来るだけの澄み切った心を持って、重々の理に運んでくれと言うだけや。)

これから話変わるで。席という席一条頼んだ事は無い。日々働き同様、今日の道はどういう処から出たか、考え。理が寄りて互い/\尽しての理である。神の道でこそ尽すだけのあたゑという。これ一つ聞き取ってくれ。
(これから〈この事をもっと詳しく話したい事から〉話が変わるで。席〈神のさしづ〉というは、どうか席一条の道〈さしづ通りの神一条の道〉を運んでくれと頼んだ事は一度も無いで。何事も心次第であって、それぞれの日々の心の働き同様の守護をするだけであり、それを世界中に写し出して明らか鮮やかな神の道の承知させるだけの事やから、何も頼む事は無いのであるが、今日の道というものは、どういう処から出来て来たか、よく考えて貰いたいと言うのや。
どうでも世界一列を救けたいと思う神の思惑と、神を信じて、どこまでも神に従おうとする誠の理〈教祖の真実誠の心〉が寄り添って、互い/\に尽くし合っての今日という理であるのや。真実誠の神の道であればこそ、澄み切った心で尽くすだけのあたゑというのや。
これだけの一つの道〈親神様の思惑に沿おうとする真実の心に、結構な末代の理を治めさそうとする神の道〉である事を聞き取ってくれと言うだけや。)

それから又変わる。放って置く、放って置かんは言うまい。日々あちらこちら用が立て合うから届かんのやろう。そこえ/\届かなんだなれど、たった/\一つの理同じ理、これ分からん/\。
(それから又話が変わるで。神は、放って置く、放って置かんなどと人を隔てる事は一言も言うまい。日々のあちらこちらの処で、真実誠の神の用事や、人間の勝手な用事が立て合う〈はりあう。邪魔をし合う。一つに成れない〉から届かん〈神が働いてやる事が出来ない〉のやろう。
そこへ/\届かなんだなれど、どうでも世界中を救けたいというたった/\一つの神の理と、神の思惑に沿いたいと願う一つの心によって同じ一つの理が生ずるのであって、それによって明らかな世界救けの道が一つ始まるのであり、これだけの一つの道である事が分からん/\と言うのやで。)

どういう理なら、憲法発布許した限りの理、よく聞き分け。分かる分からんか答をせよ。一つは答えてくれ。答無くばだん/\話に掛かる。
(どういう理であると言うなら、これから先はどうでも聞き分けなければならない神の憲法〈人間が勝手に変更する事の出来ない天の法律、さしづ刻限の理。〉を発布し、定まった天の憲法を、生涯末代守りぬこうとする真実の心に自由自在を許した限りの理であると、よく聞き分けてくれ。
それだけの道である事が分かるか分からんか、皆々速やかに返答をせよ。
たとえ分からなくても、神の思惑に沿いたいという一つの心だけは応えてくれるよう。
真実の答が無くば〈神様の思惑に応じたいと思う真実の心が定まらないなら〉、段々と話の道〈真実の心を定めさせる為の実際行動。余儀無き苦しみの道。〉に掛かるのや。)

寄り合うて遠く道もあれば近くもある。聞くもある。遠く話聞き取りて、一時に聞いて、寄るは神やしき元一つありて世界、世界からという。
(神と人間が一つに寄り合うて世界救けの為に尽くす誠の道ではあるが、人間の理ばかりを立てて、神の心から遠く離れて運ぶ難儀な道もあれば、神と一体と成って、鮮やかな理に守られながら楽しみ通る近くの道もあるのや。
又、先々に定まる真実の心が有ればこそ、今このように神の話を喜んで聞く者もあるのや。
人間の思うようには成らないはるか遠くの神の話を聞き取りて、誰かが一人先に立ってひながたの道を通らなければ、後に続く誠の道が治まらないという必然的な一事の理に聞いて、速やかと実践をしようとする心に乗って神が働くのであり、そのような澄み切った心が寄るは神やしきの理であり、この元一つありてこそ世界が治まるのであって、治まった世界から、喜びの声が聞こえてこそ真実誠の神一条の道と言うのや。)




*自分的メモ*

・諭す刻限の理は少しも間違わんなれど、速やかに受け取ろうとする真実の心が無いから、速やかに応えるだけの理が無いのや。

・「どうでも尽くさせて頂きたい。」という真実の心を受け取って、神が代理となって働く神一条の道やから、出来るだけの澄み切った心を持って、重々の理に運んでくれと言うだけや。


・たとえ分からなくても、神の思惑に沿いたいという一つの心だけは応えてくれるよう。

2015/01/18

目先の楽しみばかりに心奪われて

今日読ませて頂いたおさしづは

明治二十三年八月三十日 午後十一時 刻限


このおさしづに対する父の解釈の中にこんな文が有った



目先の楽しみばかりに心奪われて、先々の為に働こうとしない濁った心を改める為の神の箒には、これは敵わんで。




はい、ボクです
本当に最近は目先の楽しみばかりにうつつを抜かしていて、神様の御心を求めよう、神様のお役に建てるよう、努力することを完全に怠っていました。


今も心はどこに向いているやら

自分を庇う心に鞭打って一歩一歩、小さな一歩ではありますが、前に進みたいと思います。

2015/01/17

今日読んだおさしづ

まずは一日に一回は父の解釈を入れたおさしづを読ませて読ませて頂きます。
今日読んだおさしづ


太字がおさしづ本文
細字はそのおさしづを父が研究し、解釈したものです

明治二十四年五月十五日 午後十一時二十五分
刻限
さあ/\やれ/\、さあ/\何が言い掛けるやら分からん。さあ/\えらい道が出掛けた。さあ/\一寸なら何も知らん。知らん者が何にも知らん。さあ/\何を始めるとも分からん。さあ/\これまで通り来たる道、どうなりこうなり世界の端くれ。あちらの木がゆら/\こちらの木がゆら/\、何にも分からん知らせん者が出入りして居た。一寸の事情一寸のとばしりが出掛けた。この者あの者一寸とばしり。何処までもうろ/\、あちらへうろ/\して居る。どんな事が始めるやら、こんな事、愚な事、どんな事が始めるやら、こんな事愚な者。ほんの障り、どんな風吹くやら、こんな風吹くやら、神なら神だけ、とばしりだけの事。さあ/\道を始め掛けたら、追々道が始まる。いつも春は春、春のように思うて居てはころりと違う。いつでも花の咲くように思うて居るから分からせん。何処からどんな風吹くやら、どんな風あたるやら、さあ/\どんな風吹くやら雨が降るやら知りゃせん。何の楽しみもありゃせん。一寸とばしりも掛かる。これが分からん。花の咲く旬、何ぼどうしたて、旬が来にゃ咲きはせん。風が吹く、雨と天気と待つけれど、大風だけはどんな者でも風は待たん。危なき道があるからちゃんと聞かしてある。どんな事見るやら聞くやら案じてばかり居る。又一つの話して聞かす。何を言うても、皆、道道々の話、それ/\どうもとばしりだけでも驚く。何時どんな事見るやら、聞くやら分からせん。内々だけの心得だけの事情あるやろう。どんだけ心持ったとて、何処に聞かすのやない言うのやない。これを留めて持って置かにゃならん。ちゃんと聞いて置け。







さあ/\やれ/\、さあ/\何が言い掛けるやら分からん。さあ/\えらい道が出掛けた。さあ/\一寸なら何も知らん。知らん者が何にも知らん。さあ/\何を始めるとも分からん。さあ/\これまで通り来たる道、どうなりこうなり世界の端くれ。あちらの木がゆら/\こちらの木がゆら/\、何にも分からん知らせん者が出入りして居た。

(さあ/\やれ/\、やっとこれだけの話が出来るように成ったのやで。さあ/\先々に何が見えているからこうしなければ成るまいと知らすのであって、何を言い掛けるやら分からんで。さあ/\今までに無いえらい道が出来掛けたと言うのや。さあ/\一寸の神の思惑を伝えようとするなら、さしづを通して胸の内へ神が入り込んで伝えなければ分からないのであって、それまでは人間というものは何も知らんのや。知らん者ばかりが集まって分からん話を伝えても真実の道は伝わらないのであって、皆何にも知らんのや。さあ/\これから神が何を始めるとも分からんような事やで。さあ/\これまで通り来たる道は、どうなりこうなりの世界の道の端くれであるのや。あちらの木がこれまでの道によってゆら/\と揺れるという程度であり、こちらの木がゆら/\と反応をしても実際に通り抜けた親の理が無いから道が伝わらないのであって、何にも分からん者と、神の道を知らせる事の出来んような者が、これまでの処は出入りして居たというだけの事や。)

一寸の事情一寸のとばしりが出掛けた。この者あの者一寸とばしり。何処までもうろ/\、あちらへうろ/\して居る。どんな事が始めるやら、こんな事、愚な事、どんな事が始めるやら、こんな事愚な者。ほんの障り、どんな風吹くやら、こんな風吹くやら、神なら神だけ、とばしりだけの事。

(そこにほんの一寸の事情の理が働き始めたのであり、それによって一寸のとばしりが出掛けたというような処やで。この者あの者に一寸とばしりが掛かるという程度であって、それによって皆何処までもうろ/\、あちらへうろ/\として居るのや。これから先はどんな事が待っているやら分からんのであって、その為に何を始めるやら分からんのであり、こんな事では道には成らん、こんな愚な事では先々が治まらんと伝えなければ成らないのであって、身に沁みて知らせる為にどんな事が起きて来るやら、又始めるやら分からんと言うのであって、こんな事は改めなければ成らん、こんな愚な事では先々に通す道が無いと諭すのやで。今は未だほんの障り程度の道であって、何時にどんな風が吹く〈明らかな神様の働きが現れる〉やら、こんな見た事も無いような大きな風が吹くやら分からんのであり、この世治める元の神であるなら、元の神だけの事をして見せると言うのであって、今は未だそのとばしりだけの事やで。)

さあ/\道を始め掛けたら、追々道が始まる。いつも春は春、春のように思うて居てはころりと違う。いつでも花の咲くように思うて居るから分からせん。何処からどんな風吹くやら、どんな風あたるやら、さあ/\どんな風吹くやら雨が降るやら知りゃせん。何の楽しみもありゃせん。一寸とばしりも掛かる。これが分からん。

(さあ/\真実の心を定めて真実誠の神の道を始め掛けたら、追々の道〈ぼつぼつの心を持って、天然自然にゆっくりと進む神の道〉が始まるのやで。今は未だほんの始まりの道であって、真実の芽を吹かさなければならない処であるから時節はいつも春であり、春には春の風が吹くのや。成れど時節は移り変わるのであって、何時までも春のように思うて居てはころりと違うで。いつでも花の咲く春のように思うて居るから天然自然の道が分からんのであって、苦労艱難のひながたの道の真の結構な理が分からせんのや。何時に何処から道が変わってどんな風が吹くように成るやら分からんのであって、どんな風があたるように成るやら分からんと言うのであり、さあ/\これから先はどんな大きな風が吹くやら、又大雨が降るやら知りゃせんと言うて居るのや。何も分からなければ何の楽しみもありゃせんで。何も分からんような事であるから一寸のとばしりも掛かるのや。たったこれだけの事が分からんのや。)



花の咲く旬、何ぼどうしたて、旬が来にゃ咲きはせん。風が吹く、雨と天気と待つけれど、大風だけはどんな者でも風は待たん。危なき道があるからちゃんと聞かしてある。

(花の咲く旬というものは、何ぼどうしたとて花は咲くものであり、旬が来にゃ咲きはせんのや。冷たい風が吹く冬の時節はじっと堪えて、恵みの雨と温かい天気とをもたらす春を待つのやけれど、大風だけはどんな者でも恐れるのであって、誰も大風は待たんのや。汚れ切った人間心を吹き飛ばす為に大風が吹き荒れる日が来るのであり、そんな危なき道がもう直ぐそこに見えてあるから諭すのであって、その日が来て困らんよう、今の内に神の話を聞き分けるようと皆々に諭すのであって、ちゃんと事前に聞かしてあるのやで。)

どんな事見るやら聞くやら案じてばかり居る。又一つの話して聞かす。何を言うても、皆、道道々の話、それ/\どうもとばしりだけでも驚く。何時どんな事見るやら、聞くやら分からせん。内々だけの心得だけの事情あるやろう。どんだけ心持ったとて、何処に聞かすのやない言うのやない。これを留めて持って置かにゃならん。ちゃんと聞いて置け。

(これから先はどんな恐ろしい事を見るやら聞くやら分からんように成ると諭しても、何一つの心定めも出来ないままで案じてばかり居るのや。このままでは大雨大風に吹き流されてしまうだけであって、どうにもならん日が来るとはっきりと見えているから又一つの話をして聞かすのや。神が何を言うても、皆道の上の話だけであって道々のたとえ話であると思うような事であり、実際のそれ/\の事であるとはどうも分からんのであって、一寸したとばしりの理だけでも驚くような事や。実際に何時我が身に掛かって来るのか分からんのであり、真実の心を治めている者も、どんな事を見るやら聞くやら分からせんと言うのや。内々だけの心得だけの事情〈神様のさしづ以外には目もくれず、どんな事もさしづ通りに治めようとするなら治まるという心得の事情〉があるやろう。どんだけ真実の心を持ったいっても絵に描いた餅では何の値打も無いのであり、先ず自分が通らなければ理は治まらないのであって嘘になるだけであり、そんな嘘の話は何処にも誰にも聞かすのやない言うのやないと言うのや。これをしっかりと心に留めて置かなければならないのであって、いついつ変わる事の無いよう心に治め持って置かにゃならんのやで。たった一つの命綱だと思って、ちゃんと聞いて置け。)


まだまだ集中して読む事は出来ない
ついつい考えてしまうのは、「早く全部読み終わりたい」という恐れ多い心境、ながらも、久しぶりにおさしづに触れ、これからも読み続けたいと思っている自分も発見
まだまだ始まったばかり

どうにか毎日続けたいと思います

少しずつ

最近はすっかりお道の心が抜けてしまっていました
おさしづの勉強をさせて頂きたい
しかし、ついつい自分の好くことに走ってしまい、お道から逃げまくっていました。

完全に抜けた今、またかつてのように毎日おさしづを読もうとする気力を取り戻すのはかなり難しいでしょう。
今でもこう書いていながらゲームを始めたいばかり…


しかし、昨日の夜の出来事
エアコンに埃が溜まっていたので、掃除機で掃除していました時、脚立の天板の上に掃除機本体を置き、両手で掃除をしていたのですが、本体が脚立天板から落ちてしまい、引っ張られるように自分も落ちました。

落ちたと言っても脚立の高さが役1.2m
しかも布団を敷いてあり、その上に落ちたので大事は無かったのですが、右足付け根辺りを痛めてしまいました。
一瞬の出来事だったので、何故そこが痛いのかは覚えてないのですが、最初は暫く引きずる痛みかと思いきや、その日寝て朝起きたら意外と痛みが軽くなっていて、これなら普段の生活にもほぼ支障無く、1周間も経たず治りそうです。

でも、おさしづによると

左善、右悪という理を諭してある。

左半身の身上は善、即ち親神のよふむき、てびき、みちをせ
右半身は悪、即ち親神のざねん、いけん、りっぷく

と、教えて頂いております。

先日、父より
ボクの本ブログ「そして今日も心得違い」の更新を促す言葉を貰いました。
ボクら兄妹が父の書いたおさしづ解釈を、ブログなどによって広めて行くのが大切な事だと…

では久しぶりにブログ更新しようとするも、上っ面だけの、形だけの内容ならばまだしも、どう考えたってあの頃のような、心から神様と向き合って真面目な記事を書くことなど出来ない。

しかし、いつまでもそんな事言ってたって前進出来ない

脚立から落ちて大きな怪我も無く済んだ事では有りますが、もしこれが神様の残念、立腹であれば、次はもっと大きな形でお知らせ下さるかも知れない。
自分の身を守る為の信仰ではないが、今のままで良い訳がない。

そこで、まず一歩踏みだそう
毎日少しずつでいい

あの頃のように、神様のお心を求める毎日を過ごせるよう
努力していきたいと思います。


何の目的もなく、ただ漠然とそう思っているだけでは結局一歩進んで五歩下がるような結果になってしまうと思われるので、こうして記録と次の段階へ進むための目印として

「そして今日も心得違い」を更新出来る日まで

このブログを続けたいと思います




…これもいつまで続くか分かりませんが