今日読ませて頂いたおさしづは
明治二十三年八月三十日 午後十一時 刻限
このおさしづに対する父の解釈の中にこんな文が有った
目先の楽しみばかりに心奪われて、先々の為に働こうとしない濁った心を改める為の神の箒には、これは敵わんで。
はい、ボクです
本当に最近は目先の楽しみばかりにうつつを抜かしていて、神様の御心を求めよう、神様のお役に建てるよう、努力することを完全に怠っていました。
今も心はどこに向いているやら
自分を庇う心に鞭打って一歩一歩、小さな一歩ではありますが、前に進みたいと思います。
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