2015/01/26

難渋な道に堪えて真実貫いてこそ世界が治まる

明治二十五年十二月四日 午後八時
刻限御話
さあ/\戻って来たで/\、皆戻って来たで/\。さあ/\何ぼでも/\、どんな話、どんな理を諭すれどどんならん。用いる理もあれば、追い延ばしの理もある。よう聞き取れよ/\。これまで話何処に有るか無き/\の道、難しい道/\と言えば、人は何でやろうと思う。これまでの道を伝え、いかなる者も引き寄せ、どうなり道の掛かりと、一つの諭もして置こう。何箇年に道下り、今日の日が無くば、一年の日も無い。よう聞き取れ。雨風にざあ/\の道を通りて一つの理、その理無くば今日の道は無い。余儀無くの道を通りて今日の日。事情々々、道によく聞き取ってくれ。この刻限早く話しとうてならなんだ。あちらこちらで一日前より一寸身上に障りを付け、じっと休ましてある。多くの中、明日は我が身、我が日々だん/\詰め掛け、幾日働いて何人事情にては、成程の事情聞き分け。独り成りて来る。気の毒でならんから、一寸刻限から始め掛ける。さあ/\聞き取れ/\。さあ/\始め掛け、始め掛けたる。この一事大層々々、なか/\大層、世界寄り来る地所地面ぢば始め掛けて今日の日、よう事情聞いてくれ。三年前何の話も聞かなんだ。さあさあいかなる道、これでこそ大丈夫、道に道があって治まる。大きな道には風がある、風があれば吹き戻す。道に持つ足しっかり定めくれ。これまでという道、胸にしっかり。危なき事も楽しみの理も諭す。一人一つの心という。世上いかなる道、何かの事情治め掛け。どんな事も言い出して取り結べ。もう幾日の日があるぞ。数えてみよ。日々早く一つの道を見返るという。





さあ/\戻って来たで/\、皆戻って来たで/\。さあ/\何ぼでも/\、どんな話、どんな理を諭すれどどんならん。用いる理もあれば、追い延ばしの理もある。よう聞き取れよ/\。これまで話何処に有るか無き/\の道、難しい道/\と言えば、人は何でやろうと思う。

(さあ/\戻って来たで/\、速やかに神の話を聞き分ける事の出来ない前々の状態に、皆々の心が戻って来たで/\。さあ/\何ぼでも/\戻って来るから道が進まないのであるが、どんな話、どんな理を諭すれど、速やかに聞き分けて実践をしようとしないから順序の理が定まらないのであって、順序の理が働かないから何も始まらないのであり、そんな事ばかりしていてはどんならんと言うのや。速やかに聞き分けて速やかに用いる理もあれば、追い延ばしの理も有るであろう。

よう聞き取れよ/\。これまでの話というは、世界の道の為に堪えれるだけの難儀不自由をしてくれと諭すのであって、今の処は結構な事など何処に有るか無き/\の道であり、難しい道/\を通って世界の為に尽くしてくれと言えば、人は、「何で自分だけこんな道を通らなければならないのやろう。」と思うのや。)

これまでの道を伝え、いかなる者も引き寄せ、どうなり道の掛かりと、一つの諭もして置こう。何箇年に道下り、今日の日が無くば、一年の日も無い。よう聞き取れ。雨風にざあ/\の道を通りて一つの理、その理無くば今日の道は無い。余儀無くの道を通りて今日の日。事情々々、道によく聞き取ってくれ。

(長い年限の苦しみの道に堪え抜いて真実貫いた理によってこれまでの道が治まったという事を伝えて居るのであって、段々と聞き分けて同じ理を持ち運んで貰う為にいかなる者も引き寄せたのであり、聞き分ける事が出来るなら、どうなりこうなりの道の掛かり台と成って働いてくれるようと言うのであって、その為の一つの諭もして置こうと言うのや。何箇年か以前に世界救ける誠の道に下り、真実の心一つで難儀不自由の道を通りて来たという今日の日が無くば、一年の日〈誠の理として神が受け取る日〉も無いのやで。

よう聞き取ってくれ。雨風に打たれ、人間の道理がざあ/\と邪魔をする難渋な道に堪えて真実貫いてこそ世界が治まるという一つの理であって、その理が無くば今日の道は無いと言うのや。余儀無くの道〈他に方法の無い苦しみの道〉を通りて満足たんのう貫いてこそ今日の日が有ると言うのやで。

難しい事情々々の中を満足たんのう治めて通り抜ける理によって、自由自在の道に成るという処をよく聞き取ってくれるよう。)

この刻限早く話しとうてならなんだ。あちらこちらで一日前より一寸身上に障りを付け、じっと休ましてある。多くの中、明日は我が身、我が日々だん/\詰め掛け、幾日働いて何人事情にては、成程の事情聞き分け。独り成りて来る。気の毒でならんから、一寸刻限から始め掛ける。

(この刻限の理を早く話しとうてならなんだ。今ここで真実の心を定めさせなければ人として生かせてやる事が出来なくなるという時旬の理が来るのであって、どうでも真実誠の神の話を聞き分けさせる為に、あちらこちらの処で一日前より一寸身上に障りを付けて、じっと休ましてある〈のっぴきならない身上の辛さを与えて、わらにもすがる思いで神様の救けを待つような状態にしてある〉という日が今に来るのや。

多くの中の事ではあるが、速やかに聞き分ける事が出来なければ明日は我が身という事に成るのであって、真実の理の治まらない我が日々の事情が、「このままでは通る道が無くなってしまう。」と言って段々詰め掛けて来るのであり、事情の理が幾日働いても真実定まらない何人事情にてはすっきりとこの世から片付けてしまわなければならず、「成る程なあ、あんな心では人として生きる事も出来んのやなあ。」という、成る程の台〈残念な見本〉と成って尽くさなければならないという事情を聞き分けなければならんで。

成るまいと思っても、真実の心が定まらなければ独りでに成りて来るのやで。気の毒でならんから、一寸の刻限の諭しから始め掛けるのや。)

さあ/\聞き取れ/\。さあ/\始め掛け、始め掛けたる。この一事大層々々、なか/\大層、世界寄り来る地所地面ぢば始め掛けて今日の日、よう事情聞いてくれ。三年前何の話も聞かなんだ。さあさあいかなる道、これでこそ大丈夫、道に道があって治まる。

(さあ/\軽くして居たら通るに通れない刻限の話を、皆聞き取れ/\と言うて居るのや。さあ/\定まった真実の心を受け取って始め掛ける神の道であり、「今日からは何事も神様の思惑に沿わせて頂こう。」という一日の日の心を以て始め掛けたると言うのや。

この一事の心が後々大層大層な理に育つのであって、成らん中を尽くし運んだ年限の理によってなか/\大層な道が出来上がると言うのであり、言い換えるなら、世界寄り来る所の元の地所地面のこのぢばで、世界救けの元と成る苦労艱難のひながたの道を始め掛けたと言うのであって、それを聞き分けて、一人真実定めて難儀不自由の道を通りて来た者が居るから今日の日が有ると言うのであり、それが要事情〈世界治まる為のたった一つの事情であって必要極まりない事情〉であるという事を聞いてくれと言うて居るのや。

三年前は何の話も聞かなんだというような者でも、定まった心一つによって神はどんな働きもするのや。

さあさあ真実の心一つが定まればいかなる道も連れて通すと言うのであり、それによって、これでこそ大丈夫という道が付くのであるが、どうでも救けようとする神一条・神の一列支配の道に、如何なる話も聞き分けようとする真実の心の道があってこそ世界が治まると言うのや。)

大きな道には風がある、風があれば吹き戻す。道に持つ足しっかり定めくれ。これまでという道、胸にしっかり。危なき事も楽しみの理も諭す。一人一つの心という。世上いかなる道、何かの事情治め掛け。どんな事も言い出して取り結べ。もう幾日の日があるぞ。数えてみよ。日々早く一つの道を見返るという。

(色々な心の存在する大きな道には、邪魔な濁り心を吹き飛ばす為の強大な神の風が有るのや、真実の神の風があればこそ、速やかに聞き分ける事の出来ない心は元の処へ吹き戻すのや。理は一度に聞き分けなければ治まらないのであり、神の話を軽くするような心は何度でも初めからやり直さなければならないという事を良く聞き取って、道に持つ足〈苦労艱難の道に堪えれるだけの精神〉をしっかりと定めくれと言うのや。これまでの処で一人真実定めて通り抜けたひながたという道を、胸にしっかりと定めるなら身も心も速やかと成るのや。心速やかなればいかなる理も諭すのであって、これから先の危なき事も楽しみの理も皆諭すのやで。

これだけの大きな一つ理が治まる元は、一人先に立って定める一つの心〈どうでも道という心〉と言うのや。この心が多く集まれば世上の道もいかなる道も改める事が出来るのであって、何かの事情も治め掛けるのや。

神はどんな事も言い出して、皆々の心に真実の理が治まるか治まらないかの取り結べをして居るのやで。

皆々の心をしっかりと見定めて、心通りの道が定まってしまうまでにもう幾日の日があるぞ。真実の心が有るなら数えてみよ。日々生涯変わらぬ誠の心を持って、早く定める一つの道を見返る〈長らえて世界の為に尽くす一つの道を、一日も早く定める心に結構な末代の守護をする〉と言うて居るのや。)







暫くして
さあ/\又々一つの事情諭する。談示に早く掛け。一時に掛けて一時に治め。幾日幾日の日組みばかりではいかん。幾日々々は今まで。これからというは事情々々、あすこもこゝも急がしい。掃除に掛かりてくれ。一つの道に掃除に掛からにゃならんで。掃除掛かりて何処がどうでも構わん。早く掃除に掛かれ/\。なか/\の大層、一日の怪我も無く通りた事情、何処がどうでも構わん。何ぼうでも切りは無い。早く掃除々々。何ぼ日指折り数えても、なか/\又この日もある。早く/\、掃除掃除、明日日から掃除やで。





さあ/\又々一つの事情諭する。談示に早く掛け。一時に掛けて一時に治め。幾日幾日の日組みばかりではいかん。幾日々々は今まで。これからというは事情々々、あすこもこゝも急がしい。掃除に掛かりてくれ。

(さあ/\又々一つの事情〈神の思惑に沿う事情〉を諭するで。神が受け取る誠の談示に早く掛かり掛けてくれるようと言うのやで。何事も神の思惑に従わなければならないという一事の理に掛けて、速やかと一時に治めてくれと言うのや。真実定まるまでに何年も掛かるような幾日幾日の日組みばかりではいかんのや。幾日々々も掛かるような事は今までの事にしてくれと言うのやで。これからというは、どのような事も神のさしづに従って互い救け合いの事情々々で治めてくれるなら神が十分に働くのであって、あすこもこゝも急がしいという事に成るのや。真実に聞き分けて、一日も早く掃除に掛かりてくれるよう。)

一つの道に掃除に掛からにゃならんで。掃除掛かりて何処がどうでも構わん。早く掃除に掛かれ/\。なか/\の大層、一日の怪我も無く通りた事情、何処がどうでも構わん。何ぼうでも切りは無い。

(皆天然自然に長らえて治まる一つの道に成るようせねばならんのやから、急ぐ心や我が身勝手な濁り心の掃除に一日も早く掛からにゃならんのや。皆々で心の掃除に掛かりてくれるなら、神としては何処がどうであっても構わんと言うのやで。皆々の定まった一つの心を受け取って世界救けに掛かるのやから、一日も早く掃除に掛かれ/\と言うのや。

そうして道に尽くす事情はなか/\の大層の理として受け取るのであって、一日の怪我も無く通りた事情なら、何処がどうであっても構わんのや。一たび掃除を始め掛けたら、何ぼうでも切りは無いで。)

早く掃除々々。何ぼ日指折り数えても、なか/\又この日もある。早く/\、掃除掃除、明日日から掃除やで。

(切りが無いから早く掃除々々に掛かれと言うのであるが、何ぼ日指折り数えても真実定まらないから道に遅れが出るのであり、「中々神の話を聞き分ける事が出来ない事情が世界に写ってはどうもならんから、もうすっきりと片付けとしまうで。」と、又の理〈運命の分かれ目の理〉を告げなければならないようなこの日も有るのや。そうであるからこそ、一日も早く/\神の話を聞き分けて胸の掃除掃除に掛からねばならんと言うのであって、早速明日日からでも掃除をしてくれと言うのやで。)

・雨風に打たれ、人間の道理がざあ/\と邪魔をする難渋な道に堪えて真実貫いてこそ世界が治まるという一つの理であって、その理が無くば今日の道は無いと言うのや。余儀無くの道〈他に方法の無い苦しみの道〉を通りて満足たんのう貫いてこそ今日の日が有ると言うのやで。


今の天理教で教えられている話は「理の親に従って」「人に合わせて通る」というお話です
ボクが入り込ませて頂いている布教所でも、そのようなお話が主力となっています。
「理を立てて通るんだよ」
この方々の言う「理を立てる」とは目上を立てるという話です
それをとやかく言うつもりは有りません(以前に苦い経験が有るので(゚ω゚;A))
当然立てるべき時は立てるべきだと承知はしております。
布教所の事なら、所長先生の許可の無い事を勝手にするのはよく有りません。私情の為に逆らうなどもってのほか

しかし、曲がりなりにもおさしづに触れさせて頂き、人間信仰ではなく、神様に従って通らせて頂く事が何よりも大事であり、人間の理を先に立ててしまうような信仰では神様はお喜び下さらないと知ることが出来て、神様にお喜び頂ける通り方をしたいと思っていますので、当然理の親信仰思想の方々と静かに意見が別れてしまう事が有ります。
少しでもそのような姿勢が露見してしまうと、口で直接叩かれる事は無くも、軽く牽制を受けます。

その人たちだって理の親信仰が正しいと思っているわけですから、それを守ろうとしてそんな風になってしまうんだと思います。


でも正直そういうのが面倒で出来るだけ機嫌を損ねさせないようにしてます。


かと言ってそういう事から逃げていては駄目ですよね
このおさしづを読ませて頂いて、自分はそれだけ自分を庇っていたんだと思い知らされました。

ここで言う「人間の道理がざあ/\と邪魔をする難渋な道」の人間の道理とはいかなる意味かまだ父には聞いてません。
今回のこの話もそれに該当するのか、はたまたもっと規模の大きい、例えばおつとめをする度に牢獄へとご足労下さった教祖のような、世間の道理のことか

それは分かりませんが、人の目をおそれ、ただただ自分を守る為に機嫌をとっていた自分はなんて小さな事を気にしていたのか

当然態度に出して逆らう訳じゃ有りませんが、何を言われようとどれだけバカにされようとそんな事の何が問題なんだか
それで少しでも心の埃を払って頂けたと思えばそれは有難いことであり、何も気に病むことじゃない。
大切なのは自分がどれだけ神様と向き合っていられるのか


・切りが無いから早く掃除々々に掛かれと言うのであるが、何ぼ日指折り数えても真実定まらないから道に遅れが出るのであり、「中々神の話を聞き分ける事が出来ない事情が世界に写ってはどうもならんから、もうすっきりと片付けとしまうで。」と、又の理〈運命の分かれ目の理〉を告げなければならないようなこの日も有るのや。

目先の小さな事にとらわれて情けなく思っております。
神様の世界だすけの為に少しでもお役に立たせて頂けるように、もう一度自分を見直してみようと思います。

昨日このブログにこんなコメントを頂きました。
「あほは神の望みだそうです。器の大きいあほになりましょう。」

コメントありがとうございました
まさにその通りですね。
自分は賢くもないのに賢いフリをしたがるただの「アホ」です
神様にお喜び頂ける「あほ」にはまだまだ程遠いようです。



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